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吐露させてください

kokomoka
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昨日、大切にしていた文鳥のココを亡くしました。
一緒に過ごせたのは、たった3年11ヵ月でした。
胸をかきむしり地団太を踏んで大声で泣き崩れてもなお、この悲しみから逃れる事はできません。
ここに、亡くなるまでに至った経緯と、家族としての後悔を吐露して、決して忘れること無い記憶として残させてください。
2015年4月20日、2羽のシナモン文鳥をお迎えしました。1羽は身体も大きくて食欲旺盛、鈍感でがさつな雄のモカ。もう1羽は小さめでモカの元気に押されて、若干食も細くおとなしめでお上品な、これまた雄のココ
2羽のでこぼこコンビは放鳥時、時には軽い喧嘩もありましたが、お互いがお互いを必要としているのは見てとれ、いつも並んでまったりしていました。ココがモカの毛づくろいをしている光景は、とても癒され自然に微笑んでいました。
「おかしいな」と感じたのは、3回目の冬を迎えた去年の12月半ばでした。いつもなら放鳥時、1Fから2Fの階段を飛翔し、リビングへ降り立つところを、何故か違う方角へ飛んで行ってしまい、荷物の隙間へ降りる、というより落ちて挟まってしまいました。
すぐに助け出し、何時も通り放鳥を終え、カゴに戻しました。
翌日の放鳥で、ココが飛べなくなっていました。
痛がっている様子もなくかったので、すぐに病院へ行くことは考えず、少し様子を見ようということで、安静のため2日ほど放鳥をやめました。
その後飛べるようになり、単なる打撲かなにかだろうし、特にいつもと様子も変わらないので、心配ないと放置しました。
元々、雛でお迎えしたときに、私が心に決めていたのは、<病院へ行かない>という選択でした。
なぜなら、小鳥は小さくて弱くて臆病な生き物で、ちょっとした環境の変化を怖がると思っていたからです。小さな身体で治療に耐えられるとは思えず、通院や治療は単なる気休めではないかとまで考えていました。
今、こうなってしまったことは、ここからがまず間違っていた、と言わざるを得ません。
そうこうしている間に、年の瀬が訪れ、ココは季節はずれの換羽が始まりました。真冬に換羽なんておかしいな、羽根が抜けていったら寒いのに。そんなことを思いながら、元気がなくなっているのを換羽のせいだと思い込んで、またここでも放置してしまいました。
少し遅れてモカも、ココよりも激しい換羽が訪れました。お互いが換羽でイライラしているから、放鳥は喧嘩するのを避けるため、別々にしました。疲れる事も考慮して、1日おきくらいにしていました。

ようやく羽根も生えそろい、換羽も終わりかな、と思った1月末ごろから、だんだんココの元気がなくなってきました。なんだか頸から胸に掛けてがボコっと膨らみ、そこから下がやたらスマートな、人間でいうと逆三角形な体型になっていました。
病院へ行く事を悩みました。いろんな鳥飼いさんのブログを漁り、この子にとって一番いいのは一体どうしてあげることなのか、悩みに悩みました。
そうこうしているうちに、餌も食べているし、水浴びもしているし、普段と変わらない行動はとるものの、だんだんとくちばしの色が半分うすく、紫色になっていきました。
病院へ連れて行く事はやはり、どうしてもリスクが高い、と勝手に思い込み、とにかく病院へ電話して、今の症状と病院へは連れて行くことはできれば避けたいと伝えました。
病院のほうもそれに応じてくださり、ならばたくさんの写真や動画、フンなどを持ってきてください、となりました。
2/16、やっと初めて病院へ、私だけが行きました。フンの検査では特に問題はなく、症状から見て「甲状腺腫」ではないかという推測がされ、それに応じた薬が出されました。
水で薄める粉薬で、水の色や匂いのせいか、水入れにいれても飲む気配がなかったので、スポイドで無理矢理口に含ませる方法でなんとか飲ませていました。
4、5日後、少し動きやくちばしの色も変わり、回復の兆しが見えたところでしたが、それも長くは続きませんでした。
2/28、薬のせいなのか、身体の変調か、くちばしが黄色くなりました。
3/3、フンが出にくいようで、思いっきりキバっても何も出ないときもありました。
3/5、益々弱々しくなり、心拍数もかなり上がって来て小刻みに揺れていて、朦朧としていました。
3/6、朝はかろうじて生きているという様子でしたが、仕事があり、何かしてあげる事もできませんでした。
今日は午後から何も予定が無いので、ゆっくり看てあげられる。止まり木に止まっている事さえつらそうなので、部屋を暖めて手の中でゆっくりさせてあげよう、そう思って、生きていてほしい、祈りながら帰宅しました。
ココは生きていてくれました。カゴからだそうとするも、あまりにも小さく弱々しく、もう命の灯は消えかけていることを感じました。
「ごめんね、何もしてあげられなくて。お尻が汚れているね。拭いてあげようね。」タオルを熱めのお湯で絞り、お尻を拭いてあげました。気持ちがよかったのか、溜まっていたフンが多めにでました。
そのあと、手の中に入れ、「辛いね、でもすごく頑張っているね、偉いね、強いね。」そう話しかけ、頭を撫でてあげると、気持よさそうに目を細め、私をじっと見つめてくれました。開口呼吸も始まりました。
頬を小さい身体に寄せ、「今日はずっとこうしていようね。」つぶやくと、開口呼吸もあり、心拍数も早く、朦朧として辛いはずなのに、目をしっかりと開いて辛いしぐさは見せなかった。
どれくらい時間が経ったのか、今思えばそうしていたのは40分くらいだったのに、ほんの数分くらいに感じた、その瞬間。
手の中ですくっと立つようなそぶりをし、軽く羽根を広げる仕草があり、身体のけいれんを手に感じた、その瞬間、もう動かなくなりました。大声でココの名を呼び続けました。
こんなに早くお別れが来るとは思ってもいませんでした。
私の判断のミスがなかったら、もっと早く、少しでも様子がおかしい時に病院に連れて行ってあげてたら、今も可愛い姿で生きていてくれたかもしれない。モカもひとりぼっちにならずにいたかもしれない。もっともっと何かしてあげる事ができたかも。
でも、意気地無しの私には、怖がりのココを病院に連れて行けなかった。無理矢理抑えられて治療をされ、恐怖でパニックになっているココの姿を想像したら、【私】が怖くて耐えられなかった。私のエゴでロクな治療も受けさせてあげられなかった。
本当にごめんなさい。モカをひとりぼっちにして、ごめんなさい。
冷たく小さくなったココに、何度も何度も謝ってももう帰って来てくれない。
息をひきとるまえに、羽根を広げたのも、天国へ飛び立ったんだ、ひとっとびに一直線に飛んで行ったんだ、そう思おうとしてもやっぱり駄目で。
何をしていても泣けてきて、立ち直れそうにありません。
ココ、可愛い姿でいつも癒してくれてありがとう、あなたに出会えて幸せでした。
あなたの澄んだ鳴き声、本当は甘えたいのに、ツンデレで全然呼んでもきてくれなかったけど、それがまた可愛くて愛しくて。絶対に忘れません。
ありがとう、ほんとうにありがとう。
もう、朝生きていてほしいと願って毛布を開けることもないんだね。
水浴びが大好きなココの、水を換えてと待っているしぐさももう見れない。
ちいさな家族がいなくなることが、こんなにも辛くて哀しくて耐えがたいことだなんて。小さくても大きな存在だったことを思い知らされています。

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sayachi

こんにちは。私の状況ととても似ていたので、書かせてください。
私も、3月6日の朝10時45分に、飼っていたウロコインコのはなまるを亡くしました。まだ2才と11ヶ月で、来月3才になるところでした。
はなまるは、好奇心旺盛で頭もよく、言葉もよく覚え、いたずら好きでしたが、今思えばとても寂しがりでした。それもそうですよね、まだ2才ですもの・・・
しかし私たち家族は仕事があったり趣味があったりして、はなまるをひとりにしておくことが多かったように思います。それでも、ひとりでいることに早く慣れてほしいと、私たちの人間の要求を押しつけていた気がします。
おそらくそれでストレスがあったのでしょう。自分の毛をかじるようになりました。私たち家族は、毛が短くなっていても元気なはなまるを見て、病院に行くほどではないと判断していました。根元から毛を抜いたり、はげが出来てるわけではなかったので・・・
2才になったころ、ナナクサインコを預かることになりました。おそらくこの環境の変化も、はなまるにとってストレスだったのです。表向きは元気でしたが、エサを食べる量が減ったように感じました。それでも元気だったので、病院に行くか迷いながら観察していました。
そして、2月末にナナクサインコが飼い主さんのところに帰りました。ここでもまたはなまるに環境の変化が訪れ、ナナクサインコがいなくなった次の日から、様子が変わりました。放鳥すると思いのままに飛んで一人遊びする子が、私にしきりにすり寄って、手の中に潜り込もうとします。ナナクサインコがいなくなって寂しいのだろうと思いながら、手でずっと包んでいました。
次の日も次の日も、放鳥すると必ず手の中に潜り込みたがりました。背中をなでると気持ちよさそうに目をつぶったりしていました。寒いのかもと思って、部屋を暖かくしたり、暖めつづけました。家族が見ているときはエサを食べ、誰もいないときは食べてないような雰囲気でした。何日かそんな日が続いて、病院に行くことを考えました。しかし寒い冬の日に病院に連れて行くことのはなまるへの負担も危惧し、迷っていました。病院の話が出た次の日、朝からぐったりした様子だったので、母が急いで病院に連れて行きました。やはりそのときの車の移動と見知らぬ場所に来たというのが強いストレスになったようで、病院に着くや、息を引き取ったそうです。お医者さんにはストレス障害じゃないかと言われました。
今でも、死ぬ前日に私をじっと見つめていた目が忘れられなく、どうしてもっと早く対応できなかったのか、もっと接する時間を増やせなかったのか、あんなに甘えん坊だったのにと、後悔ばかりで、立ち直れません。家中にはなまるとの思い出があって、思い出す度に泣いています。寿命が長いと言われている種類なのに、こんなに若くして亡くしてしまったことが、どう考えても自分の過失で、申し訳なさでいっぱいです。
私はまだ気持ちの整理がつかず、不安定なので、つい、コメント欄に長々と書いてしまいました。申し訳ありません。kokomokaさんの投稿が私の気持ちと重なるところがあり、泣きながら読みました。モカちゃんとよい時間をすごされてください。

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