別れ・ペットロス トピック
ごめんね、ルーちゃん。最後に助けてあげられなくてごめん

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13年一緒に生きてきたボタンインコのルーちゃんが旅立ちました。
巣作りが大好きで、きっと自然の中なら立派なお母さんになっていたと思います。
でも発情が体に負担をかけると知ってから、私は巣を壊し、偽卵を使って発情を抑える日々でした。
ルーちゃんはたくさんの病気と闘ってきました。
メガバク、腹壁ヘルニア、胃炎…。ごはんも1年間は挿し餌だけ。
夜中に少しでも異変があれば、2時間かけて遠方の病院まで車を飛ばしました。
その病院で「リュープリン注射」を勧められましたが、遠くの病院に通うのは
金銭的にも精神的にも大変だったので、近くの『鳥も診れる』病院に頼み込み
注射を打ってもらいました。
嫌な顔もされましたが、ルーちゃんのためならと頭を下げて通いました。
リュープリンのおかげで発情が治まり、1年穏やかに過ごせました。
でも、去年の夏頃から急に体重が増えておかしいと思い、以前の病院へ行くと、
信頼していた先生は退職されていて、院長には「ただの太りすぎ」と笑われました。
納得がいかず、さらに遠くの鳥専門病院へ行った結果、「卵巣腫瘍」との診断。
手術は高齢で難しく、私はただ「少しでも苦しまないように」と祈る日々になりました。
長期効くというリュープリンを打つとお腹がへこみ、楽そうに見えました。
でも3回目の注射後、急に立てなくなり、飛べず、餌も食べられなくなって…。
それでも奇跡のように回復して、また私の手に甘えてくれました。
でも、そのとき「もう注射は打てない」と悟りました。
注射の効果が切れるとまたお腹が膨らみ、呼吸が苦しくなり、歩くのもつらそう。
酸素室を用意し、薬も飲ませ、できる限りのことをしました。
酸素室のおかげで朝は元気に起きて餌も食べ、甘えてくれて、本当に穏やかな日々を過ごしていました。
けれどある日、薬水で誤嚥を起こしたのか、呼吸がブチブチと鳴り出しました。
一日中苦しそうで、それでも飛ぼうとする子を私が制していました。
夕方にはまた回復して安心したのですが…。
翌日、餌を食べたいのに苦しそうで、きっと腸が膨らむと肺が圧迫されていたのでしょう。
酸素室に入れていましたが「ウンチをしたい」と訴えて出した瞬間に呼吸困難。
酸素室に戻したけど、苦しそうにして私の方へ寄ってきたルーちゃんを抱きしめました。
「助けて!」って喘ぎながら私を見つめるルーちゃん。
私も「誰か助けて!!!」と叫びながら、ただ擦るしかできなかった。
最後に力いっぱい2回羽ばたいて、そのまま私の腕の中で逝ってしまいました。
押さえていなかったら、本当に飛んでいってしまいそうな羽ばたきでした。
私はただ、穏やかに苦しまない最期を願っていただけだったのに…。
どうして?こんなに苦しませるのなら、神様、返して。
返してよ、私のルーちゃん…。
信じてくれていたのに、助けられなくてごめんね。
今でもあの顔が目に焼き付いて離れません。
あとから思えば、誤嚥した時点で近くの病院に頼んで鎮静をしてもらう選択もあったかもしれない。
頭を下げてお願いすれば、少しでも楽にしてあげられたかもしれない。
でもその時、私はその選択にたどり着けなかった。それが本当に悔しいです。
今も、姿が見えないことに耐えられず、家中に写真を置いて見つけようとしています。
でも一人になると、最後の「助けて…」の顔が浮かんできて、涙が止まりません。
もう、鳥は飼いません。
愛情を注ぐほど、体を壊していく命を、人間が飼うべきではないと私は学びました。
不快に思われた方がいれば、ごめんなさい。
ルーちゃん、ごめんね。助けてあげられなくて、本当にごめん。
大好きだよ…。
投稿ID: TM8rMKQkxBv7BbEJl7aBxQ
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おちびさんと暮らすさん へ
あたたかいコメント、本当にありがとうございます。
胸にじんわり染み込んで、涙が止まりませんでした。
まだ、最期の瞬間がどうしても忘れられなくて、
「忘れてはいけないんじゃないか」と思って、つい涙してしまいます。
もしルーが幸せを感じてくれていたなら、本当に嬉しいです。
ただ、私があれこれ手を焼きすぎて、
「うるさいなぁ」って思ってたかもしれません(笑)
それでも、私の姿が見えなくなると鳴いて探してくれた、
甘えん坊で、世界で一番かわいい天使でした。
13年で増えていったルーのものを、
ひとつずつ片付けるのがとても辛いです。
特に病弱な子だったので、介護用品が本当にたくさんあって…。
今後、もしどこかで必要とされる方がいらっしゃれば、
少しずつでもお譲りしていけたらと思っています。
あなたのような方に言葉をかけていただけて、
少し心が救われました。
心から感謝しています。ありがとうございます。
投稿ID: TM8rMKQkxBv7BbEJl7aBxQ
あずあずさん
こんばんは。お別れというものは、いつか来ると頭では理解していても、到底、受け止められるものではありませんよね。
投稿、拝読いたしました。
あずあずさんとるーちゃんの日々を見ていたわけではない、わたしがこんなことを言うのはおこがましいかもしれませんが、るーちゃんは、あずあずさんに迎えて貰えたから、13年もの鳥生を送ることが出来たのだと思います。
きっと生まれつき病弱な子だったのだと思います。あずあずさんではない人に迎えられていたら、きっと、13年もの幸せな鳥生を送ることは出来ず、夭逝していたと思います。
1年間の挿し餌生活、インコさんは食い溜めが出来ないですから、ものすごく大変だったと思います。通院費や酸素室だって、とても安価だとは言えなかったはずです。
きっと、ご自身の生活を犠牲にしてでも、るーちゃんのために尽くされていたのではないかと思います。
紛れもない愛です。るーちゃんはその愛情を感じていたし、すべてわかっていたはずです。
るーちゃんの写真を拝見いたしましましたが、どの写真も愛情をいっぱい受けて幸せを感じているキラキラした目をしていますね。
最期の時、羽ばたこうとしたのは、苦しくてもがくというより、最期まで生きることを諦めていなかったのだと思います。
大好きなあずあずさんのあたたかい手のひらの中で、大好きなあずあずさんに擦ってもらいながら旅立ったことは、決して可哀想な最期ではないと思います。
後悔の中で、鎮静を掛ければよかったとおっしゃっていたけれど、鎮静を掛けてしまうとあずあずさんの声を聞いたり、顔を見ることが難しくなってしまいますから、掛けずに最期まであずあずさんの顔や声、気配を感じられたのは、よかったことなのではないかと思います。
るーちゃんの姿形は見えなくなってしまいましたが、ふとした時にるーちゃんに似た匂いがしたり、どこかからか羽が出てきたり、ふらっと、病弱な体を脱ぎ捨てて、会いに来てくれると思います。
他人が、なんだかいろいろと語ってしまい、大変失礼いたしました。
ですが、これだけはお伝えしたいです。
るーちゃんは13年間、こんなにも自分を想ってくれるあずあずさんと暮らすことが出来て、とても幸せだったと思います。
投稿ID: 6ifXetQY8HhKCVuAGm3wCw
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