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ペットの保険選びは!【保険スクエアbang!/ペット保険】

「フランちゃん いまどこですか?」 第1部

3inko
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フランちゃん、私です。
あなたの飼い主で恋人で友達で家族の私です。
いまどこにいますか?私は2013年7月15日にあなたを失ってから
毎日泣きはらしてごはんも喉を通りません。
色々な思い出、心の交流、愛情のやりとりがありましたね。
そのひとつひとつが私のかけがえのない宝物です。
そんなあなたをあっけなく失ったのは自分のせいでもあると
責め続けているのです。あんなに幸せなまま息を引き取って欲しいと
思っていたのに大失敗をしてしまって、何て謝っていいかわからず
それもあってあなたに心残りを持ったまま気になってしょうがありません。
こんなに未練を持っていたらあなたが天国に行くのを躊躇させてしまうかも
しれませんね。
あなたをお迎えしたのは、約10年くらい前の近くのペット屋さん。
2003年1月のこと。
まだ鳥さんのことなんて何も知らない私がペットショップのセールで
売られていた3羽の幼鳥のうち、兄弟のやんちゃな2羽にカプカプされても
どっしりと座ったあなたの落ち着いた雰囲気と、緑色の艶やかな羽根
に桃色のアクセントのあるまん丸美貌のお顔に一目惚れして初めて
あなたをおうちに迎えることになったのでしたね。初めてのことで
私は本当に嬉しくて興奮して、あなたが居心地良いようにとイタリア製の
ドーム型の籠を飼ってあげましたね。あなたはそのおうちをとっても
気に入ってくれて、数年前に健康に考慮して竹のカゴを用意した時でさえ
気に入らずにもとの籠に戻ってしまった位でしたね。
家に連れて帰ってボール紙の箱から出た瞬間は恐怖で近くのゴムの木
の根っこの辺に飛んで行ってしがみついてましたね。恐くないよ!
これからあなたはここのうちの子ですよ!という気持ちで様子を見守り
ました。フランスに行こうとお金を貯めていた時だったのであなたの
名前はフランになりました。後からスペイン語でフランはプリンのこと
だと知って増々かわいい名前だなぁと親馬鹿にも思っていました。
嘴の黒はどうしたのかな?と思いましたがだんだん取れて立派な
コザクラインコの成鳥になりました。
私の部屋で籠の中のおもちゃであそんだり、くるんくるん
回転してみせたり、とってもかわいい仕草にいつも胸がきゅんとして
ましたよ。誉めると増々がんばって回る所もとってもかわいかった。
居間ではカーテンの上が大好きで、時計や、絵の額縁や
電球の笠にも冒険しましたね。電球の笠はおトイレだったみたいで
良くうんちもしましたよね。
母がベランダに籠を吊るしてしまったら、カラスが攻撃しに来て
びっくりしたあなたは止まり木から落下、片足を骨折してしまいましたね。
私がすぐかけつけて助けたものの、とても怯えていましたね。
骨折は病院に行ってしばらく虫かごで安静にすることですっかり直って
元気良く動き回れるようになり一安心。
あなたはとても早熟で、早い時期から飛行機のようなポーズでチチチチチとよく愛情表現してくれましたね。無精卵も沢山生みました。総計で20個以上は生んだと思います。真剣に暖めている姿を見ると、とても申し訳なくて
人に飼われたばっかりに、あなたには子供が生まれないのだと増々自分が
大事にしてあげたい気持ちが強まりました。
私も女で、生む予定はない境遇だったので何となく共感もしました。
敷いた紙を綺麗に綺麗に弓形に切るあなた、点線を付けてアタリを付けながら切るのに夢中なあなたを見るのが大好きでした。
それを背中に差しておしゃれしているのを初めて見た時は
本当に女の子だなぁと感心したものです。
その技はあなたの妹分リラに受け継がれましたね。
2003年はフランスとメキシコに各1ヶ月旅することがありましたが
あなたの写真を枕元に飾って一日たりとも忘れたことはありませんでした。
遠い異国であなたのことをずっと思っていたのです。
ごはんは基本は雑穀ミックスでひまわりの種も食べたりもしましたが
カナリーシードが大好きでそればかり選んで食べてましたね。粟穂は嫌いで、菜っ葉類も食べなくて好き嫌い多かったね。
発情期が長く、小さい頃から噛み癖がありました。
何回も強く噛まれて出血したの覚えています。
まだ1羽だった時に外出から帰ると餌のフタのスライドが空いていて中にいないのを発見。呼んでも呼んでも出て来てくれず途方に暮れて探し回りやっと脱走してカーテンにしがみついて隠れているあなたを見つけたことを思い出しました。その時あなたは一羽で留守番するのが寂しいのかも
知れないと感じました。寂しくないように、母がもう一羽コザクラインコのメスを飼って来ましたがライバル視して、足に噛み付きケガをさせてしまいましたね。あなたはとても嫉妬心が強く、まさにThe love bird でした。
だからこそ愛する力も本当に情熱的でした。
そんなあなたのお腹が膨れているのを感じ病院に連れて行きました。
超音波でお腹を見ると卵の生み過ぎでお腹にたくさん小さい袋が出来ているとのこと。心配しましたが、薬とビタミンで何とか直す事ができましたね。
助けてあげる度遊んであげる度に私のことを一番に思う気持ちを強く持ってくれて絆がどんどん深まりましたね。
私が数年前に1人暮らしを2年間だけしたとき、実はあなたを連れ出して
一緒に暮らそうと思ったのですが、部屋で私の姿が見えなくなると
ピーピー鳴いて落ち着かず、籠から出したらエアコンの上に行ってしまい降りてきませんでしたね。それで一泊二日だけの同棲に終わって実家に
戻したのがちょっと残念でした。そのときに、インコのカフェにも一緒に
訪問しましたね。主のインコちゃんに遠慮もせずに堂々と額縁に止まり
カレンダーも齧って、私はとてもひやひやしましたよ。
お水とご飯→水浴び→毛繕いと一連の流れが素晴らしいとカフェの
オーナーのかたに誉められましたね。
仕事をしていたので、あなたには必ずしも素晴らしい飼い主だったとは
言えませんが、年齢が上がるにつれ、甘噛みを覚えてくれて噛まれても平気になりました。ずっと幸せな日々が続くような錯覚を持ってしまいました。それほど、あなたといるときの充足感や満ち足りた気分は私にとって自由で美しくたおやかな永遠の時間だったのです。
冬は寒いので特に心配してヒーターを入れていましたが、なぜか冬が終わった4月中旬に、あなたが籠の中でうずくまって動かないのを母が発見
しました。驚いて家族全員であなたのことを大きな声で呼びましたね。
私は「フラン死なないで死なないで」と泣き叫んでいました。
その時顔を上げ、私にクリクリの瞳を向けるとぴょんと飛び出して来ました。そのとき初めてあなたは全ての警戒心を捨て、私に撫でさせてくれましたね。それからの三ヶ月は私達は恋人か夫婦のように一緒にいるときは
くっついていましたね。籠から出たがって、出すと一目散に
私の鼻や口や髪の毛に嘴を当てて、キスや毛繕いを止めるまでず〜っと
やってくれましたね。
もう高く飛ぶ力のないあなたは肩に乗ってお庭に直接出る事ができるようになり、トイレやシャワーまで一緒について来ました。私が昼寝や軽い睡眠をする時は枕元やクッションの上、或は顔のそばの隙間に入り込んで一緒に
添い寝しましたね。あなたはだんだん私の食べているものにも関心を示し
もごもごする口元に嘴を当てて来たりもして、鳥には食べられないもの
の時は心配でした。あなたが顔に擦り寄ってくることが多くなったので
私は、家にいるときはメイクを落としてキスやすりすりできるように
していました。あなたの顔の横の毛はふわふわで、なんて気持ち良かった
ことでしょう。先週はアメリカの姉とスカイプした時もラブラブな
私たちを見てもらったところでしたね。あなたは私の指に留まり
体の延びる限り上に延びて口にずっとずっとキスしてくれて本当に
嬉しかったよ。そのときの延びて踏ん張ったももひき足の何とかわいかった
こと!忘れられません。
でも永遠に続いて欲しかったそんな幸福も長くは続きませんでした。
3ヶ月後の7/15の朝、あなたが餌を苦しそうに吐いていたと母が言うので
様子を見ると、おしっこしか出ていません。
それでも私にくっついていつものように肩にのってくれてお昼寝も私の
そばでしました。体の温度が何となく低いような気がしました。
そしてつぶった瞳にキスしてもじっとしていました。
これは病院に連れていかなければ栄養不足になってしまうと一生懸命
祝日でも開いてる病院を探しました。やっと見つかり、キャンセルが出た
ため見てもらえるとのことで、そのときはとてもラッキーだと思ったのですが、まさか死への逃避行になってしまうなんて。
「フラン行くよ!」と肩に乗せ、車の後部座席に乗り込みました。
熱い日の午後でしかも揺れる車内。フランは私の髪の毛に潜り込んでじっとしていました。3時間もかかった道乗りをよく耐えたものです。
途中ガソリンスタンドに寄り、水を少し飲ませたのがフランとの最後のコミュニケーションとなりました。病院に辿り着き
髪の毛に潜り込んで嫌がるフランを引き離し、体重計に乗せました。
34gで胸の骨が出ていましたが、家ではそれでがんばっていたんです。
うまく機能しない自分の体を一番知っているのは鳥自身なので
フランは食べれない事を知っており粟2粒と水くらいしかその日口にして
いませんでした。
ヤブ医者とは言いたく有りませんが、個々の鳥の状態や性格など
まるで無視でした。保温や栄養がいかに重要かの蘊蓄ばかり1時間ほども長話をされている間、フランはいぶかしそうに保温機の中からこちらを見ていました。老鳥の立場を無視して、保温の後は流動食やら、肝臓復帰の薬やら、飼い主に相談なく勝手に与えられてしまいましたが、私は知識不足でやめて下さいとは言えず言うなりになってしまいました、、、流動食を管にたっぷりと肝臓復帰の薬まで嫌なのに飲まされたフランはその後、ひまわりや雑穀や粟穂をばらまいた虫かごに入れられました。
気持ち悪そうに羽根をばたばたと動かしたフランでしたが、具合の悪い
フランにショックで私は脳みその働きが停止していたように思います。
本当に悔やまれます。さらに驚いた事に虫カゴにカイロを二つも貼られ、さらに母の出した保温バックと綿入りバックに二重に入れられるがままで、私は見かねて「ごめんねフラン」と声を掛けたのが、生きている内に掛けた最後の言葉となりました。暑い車内にそのまま置かれたフランは
真っ暗な車内の中何を思ったでしょう。
女医に危ない状況と脅されたことで私は放心状態、しかも酔いやすく
動いて暗くて見えない車内でフランを確認することができませんでした。
このことも後から私を更に追いつめます。
2時間以上車に乗って家の近くのスーパーに着き、親が寄ると言うので車内で待っている間、カゴの中に手を入れると、既にフランは死後硬直が始まっていました。私は青ざめてフランの亡骸を抱き「フラン!」と叫びましたが返事はありませんでした。
女医の言う事を信じて安静にさせねばと間違った解釈をして虫カゴの中に入れっぱなしにしてしまった自分が許せません。きっと暑すぎたのでしょう。そして口ももう開かないということは食べ物を流し込まれたのがどこかよくないところに入って窒息した可能性もあります。今までのフランとの関係性を優先させればすぐに虫カゴから出してあげたほうが喜んでいたはずです。布団の上や枕の上でやさしく添い寝してくれたフラン、常に私のそばに来たがったフランを思い出し、何て取り返しのつかないこをしてしまったのかと思考すら停止してしまいました。

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