別れ・ペットロス トピック
まだ実感がありません・・・
- どじょうねこさん
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昨日、ピッピ(通称ぴーちゃん)と悲しいお別れしました。
ぴーちゃんは苦しいのを我慢しながら家族全員が帰ってくるのを待って息を引き取りました。
ぴーちゃんははじめはうちの子ではありませんでした。
6年前の梅雨明けの頃にウチから遠く離れた街の車通りの激しい場所でウロウロしていたところを知り合いに保護されました。
近くの家から逃げ出したのではないかと周りを見渡しても家はなかったそうで連れ帰って飼うことにしたそうです。
しばらくしてその人が旅行に行くため3日間だけウチでお預かりしました。
第一印象は「目が赤くくちばしが黄色くて大きく気持ち悪い」でした。まだ幼さが残り遠慮がちに指に乗ってくるのがだんだん可愛く思え、お迎えが来るころには名残惜しいと思うくらいでした。
そしてその人は以前から海外ホームステイに行くことが決まっていたため半年間また預かることになりました。
何度か小鳥は飼ったことはありましたが手乗りは初めてということもあり普段であれば絶対に関らなかった父まで面倒を見始めました。
そろそろぴーちゃんを帰さなくてはならなくなった頃、急に体調を壊し大変な状態になりました。
病院に行き薬を与えなくてはならなくても勤めがあり面倒が見られない現状がありましたが、父が代わりに介護してくれたおかげで一命をとりとめることができました。
その頃からぴーちゃんは家族に心を許すようになってきたと思います。
そんなこともあり飼い主が戻ってきても帰したくない気持ちが強くなり、その人にも気持ちが伝わったのか正式に「ウチの子」になりました。
それから月日は流れ・・・
ぴーちゃんは毎日、父にべったりくっつき、超わがままな子に育ちました。
夏は扇風機、冬はストーブの前に行き「つけろ!」とジッと鳴き自己主張をするようになり、茶の間の引き出しの淵が定位置となり引き出しの番鳥になっていました。
通勤の際は毎日、父の肩に乗りお見送りをし帰ってくると大騒ぎで歓迎してくれました。
普段の会話もぴーちゃん中心で家族の会話もかなり増えました。
気が付けば家の中は父手作りのぴーちゃんの玩具とぴーちゃんにいたずらされないようなバリケードだらけになっておりました。
そんな中、昨年の暮れごろにいつものようにカゴからでて手に乗ろうとした際に片足がおかしく立てないことがありました。とてもびっくりしましたがすぐにな治ったので様子をみることにしました。
そして一か月くらいしてまた同じ状態になり、すぐに病院へいきましたが原因はわかりませんでした。
「安静に」と言われたため放鳥する回数を減らしていたら、年明けからなんとなくお腹が出始め「肥満では?」と思い今度は違う病院に行くことにしました。
そこでは「脱腸ぎみ」という診断でした。アルピノはもともとが奇形のため骨格が弱く脱腸にもなりやすいという診断でした。
だんだんウンチのでが悪くなり調子もよくない感じでしたが投薬をしながら様子をみていたら元気になってきました。
そしてまた様子をみてもらいに病院に行ったときに腸の検査をしたらかえっって悪化してしまいました。
「もうダメかも・・・」そう考えましたが父が懸命に介護してくれたおかげでまた元気になりました。
GWも終わり暖かくなり普段通りの元気な生活に戻り安心しておりましたが、どうしても不自然に一か所膨らんでいるお腹が気になりましたが以前に比べ小さくなっていたので病院には行きませんでした。病院で悪化した件もあり連れて行くことを家族に反対されておりました。
先週末あたりから風邪ぎみの症状がでており急に毛並みがわるくなり「明日、病院に行こう」ということになりました。
連れて行く朝、今までに聞いたことのない声で苦しがり始めました。発情していたため「卵詰まりでは?」とも思っておりましたが気が付いた時にはお尻から出血していました。
病院に行き先生に診てもらうと「脱腸」との診断で「腸をしまうため糸で縫う」と言われました。
なんとなく「これは違うのでは?」と思い「内臓疾患とか腫瘍ではないのでしょうか?」と聞き直すと先生の態度が変わり「私にはわかりません」と言われてしまいました。「別の病院を紹介してほしい」と伝えると県外の2時間以上かかる場所を告げられました。「近所でどこかありませんか?○○病院は?」とすがる思いで聞いたのに「今から行けば間に合うよ」の一言で先生は控室に戻ってしまいました。
仕方なく以前に通っていた病院に行き今までの治療の状態をすべて話して診察していただきました。
結局、卵詰まりではなくお腹に水か溜まっておりそれで苦しんでいたことがわかりました。この小さな体からこんなに出るのかと思うような量の水を抜いていただきました。
先生からは「3時間して大丈夫なら薬を与えてください」と言われ「薬が効いたら次の治療をしましょう」と言ってくださいました。そして「覚悟しておくように」とも言われ家にかえりました。
覚悟しながらも父に託し仕事に行きました。
帰ってきたら薬も飲めいつものように「出せ」と大騒ぎをしたとのことでした。でも毛を膨らませあまりよい状態でないことがわかりました。
そして翌日の昨日、朝も「出る」とカゴの中で大騒ぎをして外にでてはきたもの状態は悪化っしているのが一目でわかる状態でした。
そして仕事から帰ってくると力なく下でうずくまっており呼び掛けには小さな声で「ぴ〜ぃ」と一瞬答え動かずじっとしてました。そしてその20分後に最後に帰って来た家族の呼び掛けにぴくっと反応して息を引き取りました。
聞くと夕方から動けなくなり苦しみながらもみんなの帰りを待っていたとのことでした。
今朝、家の庭の一番いい場所に眠ってもらうことにしました
ぴーちゃんと一番仲良しだった父が全部準備してくれました。今まで飼っていた鳥たちの面倒は一切みてくれなかったのにぴーちゃんだけは可愛がってくれました。
たぶん一番悲しんでいるのは父だと思います。悲しみをこらえている姿がわかるので切なくて・・・。
初めてぴーちゃんが体調を壊したときにガックリしている姿を見て「いなくなったときはショックでボケるかも?」と考えた時がありました。まさにそうなってしまいそう・・・。
自分は涙はでますが、まだいなくなった実感がわいてきません。ふっとしたときに実感するのだと思います。
ぴーちゃんはウチに来て幸せだったと思う人生がおくれていればよいのですが、私たちは幸せでした。
たくさんありがとうと言いたいです。
また機会があれば生まれ変わってうちの子になってくれるといいな。
病院選びは難しいです。このサイトにあった病院に行ったのですが田舎では設備の整った専門に診ていただける病院がないという現状を思い知りました。
でも自己判断で様子をみることはもっとよくないと実感しました。
長々と書いてしまいすみませんでした。
「こんな子もいたんだ」と思っていただければ幸いです。
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- 投稿者:じゅんじゅんさん
どじょうねこさん
はじめまして。
ぴーちゃんを亡くされてまだまだ悲しい時だと思います。
温かい明るい家族と楽しく過ごせて可愛がってもらって
とても幸せだったのでは。
だから家族の事が大好きで頑張って待ってたのですね。
私も先月インコちゃんを亡くしましたが、いつか又会えるかもと夢みています。
本当に生まれ変わってきてほしいですよね。
ぴーちゃんのご冥福をお祈りいたします・・・
- 投稿者:どじょうねこさん
- トピ主
ぴーまり様
あたたかいメッセージありがとうございます。
ぴーちゃんがいたことで家族の絆が深まったと思います。
今は悲しい顔をせず、思い出話に花をさかせることがみんなの励みとなっております。
まったく鳥に興味がなかった父がまたいつか新しい家族をお迎えする気持ちでいるようです。
楽しい思い出を胸に前を向いて頑張っていこうと思います。
- 投稿者:ぴーまりさん
どじょうねこさん、初めまして。
ぴーちゃんは家族のみなさんに可愛がられて幸せだったと思います。私も2年くらい前にセキセイのまりんを亡くした時は居ないということが信じられませんでした。もういないのに肩に乗っているような錯覚や鳴き声が聞こえたりとつらい毎日が続きました。
まだまだ鳥を診てくれる病院は少ないですよね。わたしも
まりんが具合が悪くなってからネットなどで病院を探し運よく県外ですが高速で一時間ほどのところの鳥専門病院に連れて行きました。その時には病状もかなり進んでいて助けてあげることが出来ませんでした。もっと早く診せていればと後悔しました。
今ではまた二羽のインコと生活していますがメガバク持ちだったり、神経症の病気になってしまったりと病院にお世話になってはいますが二羽とも元気に生活しています。
小さな体だけに病院選びは重要なことなんだと実感しました。
どじょうねこさんのお父様もぴーちゃんと何か特別な絆があったのでしょうね。悲しみは大きいことと思います。悲しみは時間しか解決してくれないと思います。ぴーちゃんとの思い出は家族の皆さんの宝物になることと思いますよ。
長々とすみませんでした。
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